こんにちは、ラプロユアコンサルティング行政書士事務所 代表の岩上です。
日々を仕事に追われ頑張って生きている中で、ふと「変わっていない自分」に気が付いて、モヤモヤすることってありませんか?
この感覚は特に30代~40代の働き盛りで、かつ、思考型のビジネスパーソンに多く見られる気がします。
毎日なにかしてるはずなのに、成果もなく、手応えもなく、
ただ月日だけが流れていくような時間。まるで成長していないような感覚。
私も数年前の春、行政書士としての仕事は順調に見えていたけれど、
自分の中では「何も動いていない感覚」に取り憑かれていました。
SNSでは周りの知人がどんどん事業を拡大して、
本を出したり、セミナーを開催したりしている。
一方で自分は……
ルーティンの仕事と、ToDoの山に追われる日々。
「自分は、このまま何も変われないんじゃないか」
そんな声が、夜の静けさの中でじわじわと大きくなっていったんです。
でも──
そのときから、心の中にある“違和感”が生まれました。
「このままでいいのか?」
それは、今思えば“問い”の芽でした。
このコラムは、そんな“問いの中にいる人”のためにあります。
前回・前々回では次のようなテーマを扱ってきました。
- 第1部:『“成長しなきゃ”という思い込みから自由になる──個人と組織の“あり方”を問い直す』──焦りと自己否定から抜ける
- 第2部:『あの人は成長していくのに──自分だけ止まっている気がするあなたへ』──比較の呪縛を問い直す
そして本コラムは「成長三部作」の締めくくりとして、
“問いが残っている限り、私たちは止まっていない”という可能性を、
私自身の体験や揺れとともに、深く見つめていきたいと思います。
「問いを持つこと」には、意味があるのか?
“変われていない”と感じるその感覚は、
もしかしたら「変わり始めている」兆しかもしれない。
この文章が、あなたの「問い」を肯定し、
静かな次の一歩のヒントになれば──と、心から願っています。
変われなかった日々に意味はあるのか?

「今日も変われなかった」
そう思った日が、何度もあります。
手帳に“目標”を書いてはみたものの、
仕事に追われて、気づけば1ヶ月が過ぎていた。
体調を整えようとジムに通い出しても、
3週間後にはすっかり足が遠のいていた。
このまま同じ毎日を繰り返して、
自分は一体どこに向かっているんだろう?
──ある年、私は1年間ずっと“このままじゃいけない”と思い続けていたけれど、
結局なにも形にならなかった年がありました。
でも後から振り返って、あの時間が“無意味だった”とは思いません。
あの時間に私がしていたのは、「問いの発酵」でした。
変われなかったと思っていた1年間の中で、
私の中の問いは、すこしずつ変化していたのです。
🔍 問いの立て方を変えると、行動が変わる
たとえば──
- 「なぜ自分は動けないんだろう?」 → 「どうすれば“動ける状態”をつくれるか?」
- 「本当にこれをやりたいのか?」 → 「これをやったあと、何を得たいのか?」
問いを“責め”ではなく“デザイン”に変えることで、
心が前向きなモードに切り替わることがあります。
問いが変わると、見える景色も変わります。
私はある時、「今の事業に違和感がある」という
ぼんやりとした問いを
「なぜ違和感があると感じているのか?」と掘り下げ、
そこから「誰のために仕事をしたいのか?」という問いにたどりつき、
自分のサービス内容を大きく見直すきっかけになりました。
違和感=もやもやとは、まだ実現していない可能性の存在に気が付くことです。
この違和感の正体を探り、観測するための手段が「問い」です。
あの“変われなかった日々”は、問いの変化を起こす“助走”だった。
そして今──
もしあなたが、「このままでいいのか?」と感じているなら、
すでにその内側では、新しい可能性が動き始めているのかもしれません。
問い続けている人は、止まっていない

「本当にこれでいいのだろうか?」
「なんだか日々にモヤモヤする」
「どこか違和感がある気がする」
そんなはっきりとしない感覚が、心の中にいつまでも残っていることがあります。
でも不思議なことに──
人はその“迷いが消えたとき”よりも、
“問いを持っていたとき”の方が、生き生きしているものです。
私もあるとき、「なぜ最近、あまり何も感じないんだろう?」と思った時期がありました。
そして気づいたんです。
最近、違和感と向き合ってこなかった、と。
なんとなくこなす日々。
業務も生活も効率的で問題はないけれど、
心のかすかな揺らぎを大切にしていなかったのです。
違和感があるということは、まだ“ひっかかる”感性が生きているということ。
それは、確かにまだ“問いを持ち、新しい可能性を実現できる”という証拠でもあるのです。
🔍問いの“質”を上げる3つの視点
- 時間軸:この問いは「未来に向かっている」か?
- 関係軸:この問いは「誰かと共に向き合える」か?
- 行動軸:この問いは「自分の動きを変える力を持っている」か?
問いが深くなるほど、それは「次の一歩」の原動力になります。
ドラッカーはこう言いました。
「問いを持つことは、未来の可能性と接続されている証拠である」
“答えが出ない”状態は、たしかに不安です。
けれど、“問いを持ち続けている”状態は──
進行中の証でもある。
🖊今、あなたが持っている違和感を書き出す
次のような問いを、紙に書いてみてください。
- 今、自分の中でぐるぐるしている“違和感”は何か?
- その違和感は、いつから生まれているのか?
- その違和感があることで、自分の行動や感情にどんな影響が出ているか?
違和感を「見える化」することで、あなたは変化をするための問いに気づくことができます。
問いがある限り──あなたは止まっていない。
量子力学の世界では、「観測するまで、状態は確定しない」と言われます。
もしかしたら、私たちの“問い”や“違和感”も、まだ確定していない“可能性の重ね合わせ”なのかもしれませんね。
未完成な自分が、誰かを照らすとき

「自分なんかが、誰かに何かを伝えていいのだろうか?」
私自身、そう感じていた時期が長くありました。
知識も不十分。
経験も中途半端。
実績もたいしたものじゃない。
そんな“未完成な自分”が誰かと関わることが、
むしろ失礼なんじゃないか──と、ずっと思っていたのです。
でも、あるとき出会った人の言葉が、私の見方を変えてくれました。
その人もまた、答えを持っていない人でした。
だけど、彼の言葉は一方的に正解を押しつけるものではなく、
考える余白を持ったまま、私に向き合ってくれるものでした。
その余白が、私を救ってくれたんです。
私たちは「完成されすぎた人」よりも、
「問いを持ったまま共にいてくれる人」に安心する。
🌱 なぜ“一緒に考えられる”が人を安心させるのか?
Googleの研究「プロジェクト・アリストテレス」では、
チームの生産性に最も影響するのは“心理的安全性”であると示されました。
心理的安全性とは、
「この場にいても大丈夫」と思える空気。
完璧な人ではなく、
未完成なまま問いを抱えている人の方が、
そこにいる人を安心させることがあるのです。
哲学者ヴィクトール・フランクルはこう言いました。
「苦悩する人の沈黙は、
他者にとっての“癒し”となることがある」
問いを持ったままでも、
その姿は誰かを照らしているかもしれない。
未完成でも、まだ途中でも、
それでも誰かと関わろうとすること自体が、
すでに“価値”なんです。
🖊 自分の“問いを抱えたまま話した経験”を振り返る
過去に、次のようなことがなかったかを思い出してみてください。
- うまく説明できないまま、誰かに気持ちを話したこと
- 正解がわからないまま、相談に乗ったこと
- 自分も悩んでいたからこそ、共感できた経験
そのとき、相手はどう反応してくれたでしょうか?
“揺れたまま話す”ことが、相手の心に残ることもあります。
あなたの“問いのある姿”が、
誰かにとっての「大丈夫だよ」という光になるかもしれません。
まとめ:問いが残っている限り、成長している
成長って、目に見える成果や変化だけじゃない。
むしろ──
「このままでいいのか?」
「何かが違う気がする」
そんな違和感と向き合い、問いが生まれているということ自体が、
すでに“次に進もうとしている心の動き”なのかもしれません。
問いを抱えている状態は、
決して未熟や停滞ではなく、動きの前ぶれ。
そしてその問いは、
あなただけの“未来との接点”でもあります。
- 変われていないように見える時間も、「問いの発酵」が起きている
- 可能性と向き合い、問いを持ち続ける限り、人は止まっていない
- 未完成な自分こそ、誰かの心に光を灯す存在になりうる
よくあるご質問(FAQ)
Q:問いばかりで、なにも進めていない気がします。
問いがあることは“内側の動き”です。焦らず、言語化するだけでも変化が始まります。
Q:答えが見つからない問いは意味がないのでは?
答えが出ないからこそ、その問いは“進行形”なのです。問いの変化自体が成長の記録です。
Q:未完成のまま人と関わるのが怖いです。
未完成だからこそ、共感や安心を生むことがあります。揺れている姿が、人を救うこともあります。
・“成長しなきゃ”という呪いから自由になる
・あの人はどんどん成長していくのに──自分だけ止まっている気がするあなたへ
・“やりたいことがなくても起業していい理由”──目的なき挑戦に意味はあるか?
今日のひとこと:
変われなかった日々を否定しなくていい。
そこには、あなたしか知らない「問いの物語」があるはずだから。
またお会いしましょう。